伊福部昭「音楽入門」を読む

ゴジラのテーマを知らない人はあまりいないと思いますが、その作曲家であらせられる伊福部昭さんが書いた「音楽入門」という本を読んだので紹介します。

 

伊福部昭さんについて

伊福部昭さんは北海道生まれの作曲家です。ゴジラのテーマの作曲者で知られていますが、実はテレビで特集が出来るほどのすごい方です。残念ながら2006年に亡くなられています。

伊福部昭さんは「芸術は、民族の特殊性を通過して普遍的な人間性に到達しなければならない」という信念を持っていらっしゃったそうで、アイヌなどの民族音楽に独学で学んだ独自の作風を展開しておられます。

最近伊福部昭さんの存在を知って、「シンフォニア・タプカーラ」などを聞いたのですが、第三楽章のクライマックスの高まりなどは、涙がちょちょぎれるほどでした。

そんな伊福部昭さんの「音楽入門」という本が文庫本で並んでいたので買うしかないと思い購入しました。ここからはその感想を書いていきます。

 

論理的で読みやすい

音楽入門と銘打っているうえ、伊福部昭さんは近代の作曲家なので、現代音楽の批評のような難解な話が続くのだろうかと思って、少し身構えて最初のページをめくりました。

が、読んでみると音楽の鑑賞態度や音楽観の変遷に関しての話がメインで、最後まで興味深く読むことが出来ました。

何より伊福部昭さんの文章が「本当に音楽家の方?」と驚くほど論理的で明晰な美文でとても読みやすかったです。

最初のはしがきをシニカルな寓話で終わらせるところなども、洒脱で好きです。

 

音楽の鑑賞態度

この本に流れているテーマの一つは「音楽から音楽以外の要素を汲み取ろうとする鑑賞態度への批判」かなと思います。

現代の風潮として、音楽を聴く際はそこから浮かぶ連想や心象、思想、背景などを理解しようとする態度で聴くことが一般的になっています。

「この音は、鳥の鳴き声を表しているのだ」とか、「この曲を聞いていると小川のせせらぎが浮かんでくる」とか、「作者の意図はこうだ」とか、「この曲はこういう時代への風刺のためにつくられたのだ」など。

そして音楽から納得のいくようなそれらのものを汲み取ることができなかったら、音楽を理解できなかったとする態度の聴き方です。もう完全にこのような態度が世間に浸透していますよね…。音楽に対して「理解できない」という言い草が既にその発露ですもんね。

この本ではそのような鑑賞態度への批判精神が通底しています。伊福部昭さんが「音楽を音楽として鑑賞されなくなること」へ大変な危惧を抱いてらっしゃったことが伝わってきます。この本で例示されていた、「博物館で解説や説明にばかり気をとられ、肝心の展示物を眺めていない」ような状態は確かに異常ですもんね。

端的に言えばもっと純粋な耳を開いて音楽を聴こうよ!ということですね。

 

本能を揺さぶる律動

音楽には旋律、和音、律動の3つの要素が認められます。

旋律、和音は聴き馴染みがあるかもしれませんが、律動はあまり聴き馴染みがない言葉ですね。本書では「音の強弱が時間的に配列されることによる一種の節奏感」とあります。「拍子と考えていただければよいでしょう」とも。

本書を読んでいると伊福部昭さんは律動を重視されていることが伺えます。確かに少ない音を行き来する律動的なフレーズが氏の音楽には多いような気がします。その律動的な音楽には肉体が感じられるというかそんな気がします。身体の根底的な部分を揺さぶられるというか。原初的な踊りみたいな。うまく説明できませんが。

ただ、律動は誰にでも能く理解しやすい、身近に感じるものだから下級な要素として見られがちということも書いてあります。

氏の音楽などを聞いているとそんな考えは打ち砕かれてしまいますね…

 

形式感、構造的均衡の美

他に印象的だったくだりとしては、形式感の鑑賞についてのお話です。

音楽の真の美しさを味わいたいのであれば、それぞれの音の長さが占める比、部の構成などの形式感や構造的均衡の美を鑑賞する態度も養わなければならないという旨が述べられていました。

その形式美の鑑賞態度について絵画を引き合いに出して説明がなされていました。絵画をみるときは、色彩の対比だけでなく、それぞれの色彩が画面に占める割合なども見るだろう?それと同様だというわけです。この例えはすごく腑に落ちますね。

 

音楽観の変遷

「音楽入門」らしい章もあります。音楽観の変遷や現代音楽について俯瞰的にさらった章で、音楽の作曲者の主義主張がどのように移り変わっていったかを見て取れるようになっています。

印象派について、絵画はリアリズムから逃れたのに対して、音楽は対象物にできるだけ近づこうとしたという逆方向の志向だったという指摘など、音楽以外の要素との関連についても書かれている部分があって、読んでいて楽しかったです。

なお特に印象深いくだりがありました。古代主義や新古典主義という古代の旋法に立ち帰ったり、古典の規範に習おうという主義があるそうなのですが、これは興味深いなと思います。私は時代時代の閉塞感が打ち破られる時というのは、いつも古典など顧みられなかったものに新しい可能性を発見した時だったと思うので、この考え方には賛同できます。

以前記事を書いたArvo Pärtも古楽に可能性を見出していましたね。

ただ伊福部昭さんは単なる模倣に流れてしまってはいけないと釘をさしていますが、その通りだと思います。古きものを書き換えて新しい生命の息吹を吹き込む、この難題にどう取り組むかが芸術家の真価が問われるところだと思います。

 

自分の足元を掘り続けていればいつか普遍性につながる

記事の始めの方でも触れた「芸術は、民族の特殊性を通過して普遍的な人間性に到達しなければならない」というのは、蓋し至言だなと思います。本書でも同様の内容を述べられている箇所があります。

一芸術家である絵の先生も同様のことを言っておられたのが思いだされます。「自分の足元を掘り続けていれば、いつか普遍性につながるんだよ」。

「隣の芝は青い」で、他の民族、ひいては隣の人の特質に憧れて真似しようとしても、結局表面をさらっただけの皮相的なものにしかなりません。

私も中高生の時分に、外国のものだというだけで色んなものを持て囃そうとした時期がありましたが、今思うとすごい浅薄だったなと思います…恥ずかしい。

やはり何かを成そうとすれば、自己(民族)の特質を受け入れて、その足元を掘り続ける他ないんだろうなと本書を読んで再認識しました。

 

まとめ

今回は伊福部昭著「音楽入門」について記事を書きました。

音楽に対する鑑賞態度や音楽観の変遷についての本ですが、芸術全般に対する向き合い方にも示唆的な部分が含まれる本でもあると思います。

ボリュームもそんなになく、文庫本で僅か180p程度なので伊福部昭さんに興味がある方や、世間の芸術との向き合い方に違和感を覚える方などは是非読んでみて下さい。

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