佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」を読む

「切り取れ、あの祈る手を」は佐々木中さんという哲学者が書いた思想書です。兄に借りて一度読んでから、装丁のカッコよさと濃い内容に驚き買い直しました。事あるごとに読み返す本の一つです。今回はそんな「切り取れ、あの祈る手を」という本について印象的なくだりをご紹介します。

 

情報の遮断

最初に惹きつけられたのは佐々木中さんの批評家や専門家についての批判のくだりです。「全てにおいて全てを知っている」と見せようとする批評家や、「一つのことについて全てを知っている」と振る舞う専門家に対して、その閉じられた空間で「万能者」として自分を立てようとする、ラカンが一番惨めな享楽と呼ぶ「ファルス的享楽」に浸りきっていると手痛い批判を加えています。ワイドショーのお決まりの場面、横並びに座った知識人が何かしら気の利いた一言を次々に話していく姿に私はどこか嫌悪感を感じていたのですが、その原因を言い当てていて驚きました。同時に自身にもそんな部分がないだろうかと反省して少し恥ずかしくなる自分もいました。佐々木中さんの本を読んでいるとそういうことがよく有ります。そんな自身への内省も促してくれる哲学者でもあります。

佐々木中さんはそのようなファルス的享楽に浸るために情報を集めようとする人々とは一線を画すように情報を遮断して生きている、といいます。情報を遮断して生きるということは、情報という分かりやすい基準を与えてくれるものを放棄するということです。「こうすれば安心安全ですよ」「これ買わなきゃ損ですよ」「あなたの健康状態は悪いのでこうした方がいいです」「今多くの人にこれが人気です」などといった情報に従うというのはそのガイドに従ってさえいればいいので実は楽なことなのです。情報を遮断してしまえば、何に従えばいいのか何をすればいいのか分かりません。また情報化社会では情報を収集せず何もしていない(ようにみえる)人は白い目で見られがちです。そんな中そのような生き方を実践するというのは相当な自制心と覚悟がないと出来ないと思います。このように自分の思想を生き方で体現する人はカッコいいなと思います。当人はこんなの全然カッコよくないですよ、と書かれてますが…

 

本は読めないもの

この本で何度も何度も反復されることに本を読むことの不可能性があります。本なんか読めない、迂闊に読めてしまった日にゃ気が狂ってしまうよともいいます。それぐらい本を読む行為というのは危険で人や世界を一変させてしまうほどの影響力を持つ行為なのだというのです。この本ではいくつかの革命について触れられますが、それらはこの読むという行為から起動するということについて述べられています。

それぐらい本は危険なものなのですから、人は無意識下で検閲をかけます。情報化し無害化したり、忘れたり、よく分からないからと放棄させたりということが行われるのです。そのように防衛反応があって当然だから、著名な哲学者や文筆家が口を揃えて「本は少なく繰り返し読むものだ」というのだと。頷ける話ですね。

 

革命は徹底的に読み、書くことから

革命についてのお話がいくつかあります。マルティン・ルターの大革命、ムハンマドの革命、そして著者が全ての革命の母と呼ぶ中世解釈者革命。どれも始まりは読むことだったといいます。マルティン・ルターは聖書を精読し、教会の悪政を指弾する根拠とし、「聖典にはそんなこと書かれていない」と言い放ちました。そして法を編纂しました。文盲のムハンマドは天使から神の言葉を読めと言われてそれをクルアーンとして書きイスラム教を布教しました。中世解釈者革命では、ユスティニアヌス法典(ローマ法大全)が読み解かれ、教会法に注入されました。そこであらゆる近代の事柄、法や主権、資本制、政治制度まで現在では当たり前の事が基礎付けられました。このように革命は徹底的に読み、法を書き換える、編纂することによって行われてきたことについて次々に言及されます。本書の帯に書かれている「革命の本体は文学なのです、暴力など二次的な派生物に過ぎない。」という言葉はここからきている訳です。

 

法=情報とは限らない

今現在、法というと「○条○項」というような文章の形、情報の形をイメージします。しかしそれは自明なことではありません。ピエール・ルジャンドルというよく佐々木中さんが口にされる名前があるのですが、法制史家であるその人はダンスでさえも法であるといいます。それだけではない、詩、歌、楽器、リズム、あるいは日常の挨拶、挙措、表情でさえも法でありうるということも述べられています。この定義にはびっくりすると共にどこか納得できるところがあると思います。現代でも民族によっては、文章の形で法を用意して統治を行っていないところなんて幾らでもありますものね。

近代のように「法=情報」に切り詰められてしまったのは中世解釈者革命に端を発しています。中世解釈者革命は偉大な革命でしたが、その功罪が現在の情報と暴力の世界として顕在化していると述べられています…

佐々木中さんはこの情報と暴力の世界を作り出したのが人間ならそこから抜け出すことも同じ人間なら可能であるはずだ、といいます。やり直せない根拠はない、まだ中世解釈者革命のような革命は可能であると。閉塞感と諦念で満ち満ちた現代で、このような可能性を謳いあげる人がいるのだなと心が熱くなります。

 

まとめ

今回は「切り取れ、あの祈る手を」についてご紹介しました。この本は何度も読み直しています。何度読んでも自分の経験とリンクして新鮮な発見があり、すぐに「準拠の恐怖」に負けて情報やHOWTOを求めて右往左往してしまう弱い私を叱咤激励してくれます。

藝術に親しむ人、特に文学の徒はすごく共感できる部分のある本だと思います!

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